あぃてぃえふ

スマホの写真は消してしまうので忘れていた。今日、写真を探していて改めて思ったのだけれど、私は写真の自分の顔を見るととてつもない嫌悪感を抱く。気色悪いしおどおどしている、心が醜いのが表れているように見える。

 

写真は嫌、本当に写真のように他人の目に写っているのならよくふつうに接することができるなとも思うし、不快にさせたくないので誰にも近寄りたくない。

 

こういう考え方をしていた高校時代には本当に何も得られなかった。他人を慮るふりをして自分が不快になりたくないだけである。事実は事実としてあるが、その先の生活の方が大切なので、私はごまかしごまかし生きていくのである。

 

苦しい言葉を書いていたら、気持ちが苦しくなってきた。

 

私の友達は美しいので、いくら同じ土俵に立ったふりをされてもあああ、としか思えんし、私はあの子じゃないって何度も言い聞かせなければいけない。

 

眠い眠い!

 

エイズにならんように遺伝子組み替えされた子は西ナイル熱に感染しやすくなるそうだ。生まれてくる子は、自分が実験材料、観察対象と知ってどう思うんやろ。と、一番思った。事実、そういうことはもう起こっているのである。親も研究者とかなんやろうか。細かい癖や偶然かかったインフルエンザとかも報告書にみっちり書かれるが、1人だけではなんとも言い難い。人数もあるし、どの遺伝子をいじるかという組み合わせも無限にある。私が大人になる頃は、(とふつうにいうが私は大人だよな。)改め中年になる頃は当たり前のことになっているかも。顔の造形の遺伝子も洗練されるといい。

 

私が嫌々返信してるのを、あの女は感じ取れるのだろうか?どうせなんかは話さなきゃいけないんだから、共感を求めるんじゃなくてあくまでも分かり合える範囲で納得されるような話をしよう。すっかり腹の中を打ち明けることはできない。結局のところ、ボイコットなのだろうか、も、やめたいのと半々。

 

母親は私のだらしないところを怒ってる。が、だらしないから、だらしなくないからなんなんだ?という感じ。疲れた。一人で充実できれば、いいんでしょう?あああ、眠たい。

 

 

自己は向上しないのである。

自己は向上するものではない。とは?